東京地方裁判所 昭和27年(ヨ)4047号 判決 1954年2月24日
申請人 斉藤一衛 外十四名
被申請人 株式会社三越
主文
申請人等の申請を却下する。
申請費用は申請人等の負担とする。
理由
申請の趣旨
被申請人が昭和二十七年七月二十四日付で申請人等に対してなした解雇の意思表示の効力を停止する。申請費用は被申請人の負担とする。との仮処分を求める。
当裁判所の判断
第一解雇に至る経過
被申請人(以下単に会社という)は、百貨店業等を営む株式会社で、本店を東京都中央区日本橋室町一丁目七番地に有するほか、東京都内銀座及び新宿、大阪、神戸、高松、松山、仙台、札幌等の各地に支店を有し、申請人等は会社の従業員であり、且つ会社の従業員をもつて昭和二十一年十一月組織された全三越労働組合(以下単に組合という)の組合員である。
組合は、昭和二十六年五月二日の賃上要求に端を発した給与改訂問題に関連して、同年六月十九日「中元時における休日営業並びに時間延長の協定拒否」の指令を発し、中元時の休日営業並びに時間延長の協定、従つて又その実施を拒否し、更に同年七月十六日夜いわゆる定時出勤を指令して、翌十七日東京三店(本店、新宿及び銀座支店)においてこれを敢行した。
会社は、組合のかかる行動を、平和条項及び平和義務違反の不当な組合活動ないし争議行為であるとし、同年十月二十五日付で、これを企画指導した組合幹部斉藤一衛外五名を懲戒解雇に、中島乙次郎外八名を譴責処分に付したが、これに対し組合並びに被懲戒者は、同年十一月五日東京地方裁判所に地位保全の仮処分を申請すると共に、翌六日東京都地方労働委員会に不当労働行為の救済を申立てた。
然るに、他方組合は、同月二十八日一般投票において、賞与、退職慰労金等に関する罷業権発動の決定権と共に、右懲戒に関する罷業権発動の決定権を中央闘争委員会に一任することに決し、実力闘争態勢を整えた。そして組合は同年十二月九日会社に対し、前記懲戒処分撤回につき、同月十一日正午迄に解決すべき条件を付して団体交渉を申入れると共に、右処分撤回を目的として、同月十二日午前零時より二十四時間ストに突入する旨通告した。そこで、同月十日都労委において、スト回避のため職権によるあつせんがなされ、同月十二日午前七時に至り、十二日のスト中止の妥結に達し、会社と組合は速かに団体交渉を開始することを約した。しかしながら、同月十二日及び十三日団体交渉を続けたが、妥結に至らず、十三日午後決裂するに至り、同月十五日組合は、会社に対して団体交渉の申入れをすると共に、十八日午前零時より四十八時間ストに突入する旨通告した。そして結局右団交申入れによる団体交渉は実現せず、会社は、十八日、十九日両日にわたつて、可能な範囲で開店することを決定したが、組合は通告どおり右両日東京三店において四十八時間ストを決行した。
その後右懲戒解雇については解雇無効の判決があり、会社は解雇を撤回したが、右両日にわたり組合が行つた争議行為を違法であるとして、昭和二十七年七月二十四日付で申請人らに対し、あらためて右争議行為の責任を問い就業規則第六十九条第一号及び第二号に照し、申請人らを懲戒により解雇した。会社の解雇理由とするところは、申請人斉藤は組合中央闘争委員長、奧沢、中山は同副闘争委員長、中村圭介は同書記長として、争議の企画指導並びにその遂行の中枢となり、その実行指揮に当り、申請人伊藤は中央闘争委員兼本店支部闘争委員長、沼沢、蔵部は中央闘争委員として、争議の企画指導並びにその遂行に参与し、伊藤は本店、沼沢は銀座支店、蔵部は新宿支店の実行総指揮に当り、申請人駒井、一条は本店支部闘争委員、中村初枝は銀座支部闘争委員、鳥山、古波蔵は組合員として、積極的に争議に参加して、その遂行に当り、その実行指揮をなし、申請人相模、野崎、渋谷は、組合員として積極的に争議に参加してその遂行に当り、もつてそれぞれ会社の業務を著しく妨害し、故意に会社の信用を害し、会社に甚大な損害を与えたものというにあつた。
以上の事実は当事者間に争がない。
第二争議の正当性
一、信義則違反
被申請人は、「組合は、前記のように紛議の平和的解決を、裁判所並びに都労委に求めると共に、更に昭和二十六年十二月十一日裁判所において、今後解雇に関しては、一切争議行為を行わない旨言明したにもかかわらず、あえて本件争議行為に訴えた。従つて本件争議行為は、著しく信義則に違反し、違法であるばかりでなく、労働協約第一四〇条にいう『会社及び組合は………互に信義と誠実とを以て紛議の平和的解決に最善の努力を払う』との規定の精神に反する。労働協約第一四五条は『この協約に違反した争議行為を行つたときは、その行為は不正当なものとみなす』と規定しているから、右争議行為は協約上も違法である」と主張するので、先ずこの点について考える。申請人らの主張するように昭和二十六年十二月十一日に裁判所の立会の上で、労使間に翌十二日のスト回避のための話し合いがすすめられ、その際、裁判所から年内に前記仮処分の判決をするとの発言があつたので、組合も十二日のストは回避する旨言明したことは認められるが、それ以上に、組合が会社に対し、右懲戒問題につき以後絶対に争議行為を行わない旨確約したことまでは認められない。従つて、その後組合が方針を変更して、十八、十九両日に本件争議行為を決行するに至つたことは、右のような経過から、年内にストを回避し得たと了解していた会社の期待を裏切る結果になつたとしても、それだけの理由で直ちに本件争議行為を著しく信義に反する違法な争議行為と断ずることはできない。又協約第一四〇条は、組合が紛議の解決に際して、何等争議行為を行わない趣旨を定めたものとも解されず、かつ組合は会社に対し懲戒の撤回について前にのべたように数次にわたり団体交渉が求めて平和的解決に努力したにかかわらず、妥結に至らなかつたのであつて、近く判決のある見込であるとしても、それがために争議による解決の手段が禁じられるものでないことはもちろんであるから、これをもつて紛議の平和的解決を怠り、著しく信義に反する態度に出たものということはできない。それ故本件争議行為が、信義則ないし協約の条項に違反する違法な争議行為であるという被申請人の主張は採用できない。
二、補充の原則違反
次に被申請人は、「組合は、前記のように裁判所及び都労委に対して、紛議の平和的解決を求め、しかも裁判所における争議行為回避の勧告の際に、仮処分申請事件の審理促進並びに判決を年内に出されたい旨の希望が容れられたので、会社に対して十二日の争議行為を中止すると共に、今後解雇撤回を理由として、一切の争議行為を行わないと言明した。しかるに、組合は十五日に形式的に団体交渉を要求すると共に、右言明に反して本件争議行為を通告し、あえてこれを実行した。しかしこのような組合の態度は、信義則に違反するはもちろん、協約一三三条にいうところの「誠意を以て」「平和的に」団体交渉をしたということができない。会社はあくまで円満な解決を望んでいたので、組合に誠意があれば平和的解決は困難でなく、本件争議行為に訴えなければ、組合の主張を通せないという状況ではなかつた。しかも裁判所は年内に判決を下すという段階においてなされた本件争議行為は、正に争議のための争議であつて、いわゆる補充の原則に反するから違法である。」と主張するから、この点について考える。
前述のように、組合は自ら解雇に関する紛議の平和的解決を裁判所及び都労委に求めていたのであつて、その判定を近々になされる見込みであつたのであるから、その手続の継続中は、右問題についてのストライキは特別の事情のない限り避けるのがむしろ穩当であるといえるかも知れない。しかし、他面組合は今後右懲戒に関し争議行為を行わない旨確約したものと認められないことは前に述べたとおりであり、しかも数次解決のために団体交渉をしたにかゝわらず、妥結に至らなかつたことも前に述べたとおりである。本来争議行為が法律上労働者の権利として保障されている以上、組合が訴訟等の手段にあわせて、争議行為の権利も行使して、更に強力に目的の貫徹を計ろうとすることもまた権利の行使として許されることであつて、これを違法ということはできない。組合が何等その必要がないのに、争議行為に訴えたというような特に不当な事情も認められない本件においては、この争議行為が補充の原則に違反するから違法であるとする被申請人の主張は採用し難い。
三、法益権衝の原則違反
次に被申請人は、「組合は、すでに述べたように、本件争議行為は、これを行うべき正当な理由がないのにかかわらず強行し、又顧客にとつても、百貨店営業の特質から見ても、十二月十八日、十九日という例年の統計上最大の売上のある時期に、会社の営業を不当不必要に妨害し、会社に対して約一億九千八百四十六万円に上る巨大な売上損失を与えたにとどまらず、顧客、取引先等に対しても多大の損害を与え、以て会社の信用を著しく侵害したことは、争議行為において、当然に要求される法益権衝を甚だしく、害するものというべく従つて本件争議行為は法益権衝の原則に反するから違法である。」と主張するので、此の点について考える。
たしかに本件争議行為は、被申請人会社の営業が、もつとも繁忙を極める年末の二日間に行われたものでありこれによつて会社はもとより、取引先、顧客等に対しても多くの損害を与えたことは後に述べるとおりであり、取引先または顧客に対して、このような争議行為が適法かどうかも後に判断する。しかしながら争議行為は本来労使共に損害をうけることを予想し、これによつて相手方に苦痛を加えてその目的を貫徹しようとするものであるから、これによつて、会社が或程度の損害を豪ることは当然のことである。何らの要求もないのに、相手方に損害を与えることのみを目的にして、争議行為に訴えたとか、取るに足りない些少の要求に対して会社に多大な損害を与える争議を行つたとか、仮に要求が相当重要なものであつても、例えば生産手段の全機能を破壊するような重大な結果を招く争議を行つたような場合には、このことが問題となる場合もあろうが、本件のように組合幹部の解雇というような組合にとつては重大な事柄についてその撤回を求めるため争議を行い、その結果会社の受けた損害が相当大きかつたからといつて、直ちにその争議行為を法益権衝の原則に反する違法な争議ということは到底できない。
四、ピケッティングの実情
次に被申請人は、組合は「本件ストライキの実効を挙げる為、その手段としてピケッティングを用いたが、争議行為の手段としてのピケッティングが、正当なものとして認められる範囲は、平和的説得により、争議が当該事業場において行われている事実を、組合員及び一般大衆に知らせると共に、これらの同情を得て、ストライキの効果を全うしようとする点にある。しかるに、本件ストライキに用いられたピケッティングをみるに、組合員及び応援団体の多数の者がスクラムを組み、開店時にはシヤツターを抑圧き損して、その開扉を妨害すると共に、青竹、丸太棒、又は角材等を横に渡して人垣を作り、又はトラツク数台をもつて防塞とし、東京三店の各入口を完全に閉塞したのみならず、赤旗を振り、インターナシヨナルを高唱し、その他営業妨害の目的で、威かく、脅迫的暴言を口頭又はマイクで告げ、不当に多衆の威力を示すと共に、入店しようとする組合員はもちろん、取引先、アルバイト学生、一般顧客等に対しても傷害を与え、会社の器物をき損し、一般の交通をも妨害するに至り、以て二日間にわたつて会社の業務を妨害し、多大の損害を与えると共に、その信用を著しく侵害した。従つて本件ピケッティングは適法の範囲を越え明かに違法である。」と主張するから、先ずピケッティングがどのような経過でどのように行われたかをみよう。疎明によれば、次の事実が認められる。
組合は、昭和二十六年十月二十五日付組合幹部十五名の懲戒処分発令後の十月二十九日中央鬪争委員会を結成し、翌十一月二十八日右懲戒処分に関するスト権の発動につき、全組合員中七七%の賛成を得、その発動時期、方法その他は中闘に一任された。そこで中闘は同年十二月一日闘争宣言を発し、同月十三日会社との団体交渉を打切ると共に、中闘会議で、十八日、十九両日のストを決定し、同月十五日東京三店に対し右のスト指令を発した。
一方同年十月末、総評、全百連、全百都連、労闘協、賃闘、全商懇等の友誼団体が、組合に支援を申し入れ、これら諸団体により全三越応援連絡会議が結成され、組合もこれと緊密な連絡をとり闘争態勢を整えたが、右会議は同年十一月二十日全三越不当馘首反対共同闘争会議略称応援共闘会議に発展し、十八、十九両日の本件ストに当つては、中央に応援共闘会議本部をおき、中闘本部に協力し、本店、銀座、新宿各支部には夫々現地応援共闘をおき、各支部闘争委員会に協力した。而して争議行為の指揮連絡系統は、中闘は支部鬪に対し指令し、連絡し、応援共闘本部は現地応援共闘に指示し、中闘と応援共闘本部との間には上下の指揮命令闘係はなく、ストライキの開始、終結等の基本的事項はもとより中闘の決定によるものであるが、組合では応援共闘会議結成当初から、中闘委員を出して情況を報告し意見の交換を行つており、中闘はスト決定後応援共闘会議の意見を参考として次に述べるような争議の計画をたて、これを実施したのであつて、応援共闘傘下の多数組合員は全三越組合員に協力してストライキの実施に参加した。
中闘はスト決定後、争議行為に関してピケラインを張ることを決定し、その具体的手段として、「一般組合員のスト心得」なる文書により、「会社は実習生と取引先で店を開くと云つているが、我々は応援団体の人と協力し、定時出勤の時の様に実力をもつてこれを阻止します」等の指示を予め組合員に与え、又特に「注意事項」(疎甲第十四号証の四)なる文書により「ピケラインは女子組合員を最前方にして重厚なる隊形を布くこと、なお最後方は場合によつては反対側に向つてピケを張る事」「建物に密着して固くスクラムを組む事」等を組合員に周知させ、その他組合員は絶対に入店させない、顧客に対しては事情を訴えてできるだけ説得して入店を思い止らす等という計画をたて、これらの計画に基き本件争議行為を遂行したが、各店におけるストの状況は次のとおりである。
(一) 十八日の本店におけるストの状況
(1) 正面口(東口)附近
早朝から組合員が参集し、入口に対して横列に並んでピケを張つた。そのうちに応援団体も続々つめかけ、開店時の午前十時には組合員及び応援団体約二百名位が旗竿を持つて、ライオンの像と像との間に八列位に並び、スクラムを組み、赤旗を振り、労働歌を高唱し、「都民の皆様へ」「くび切反対」等のビラを至るところに貼り、「今日はストだから買物は他店でして下さい」とか「三越は本日ストライキ中でございます。もし法律で保護されたストライキをお客様が破ると、ストライキ破りとなり、お客様に不利益になりますから、無理に入店しないで下さい」等と叫び続けた。
会社は、開店するため午前九時半頃、入口のシヤツターを上げようとすると、ピケ隊は掛声と共に、多数で外部からシヤツターを抑圧し、シヤツターが上りかけるとこれにぶら下り扉のあがるのを妨害した。このため会社は内部から押返しながらモーターと人力で二十五分位かかつて漸く扉を巻き上げることができた。又会社は早朝から「本日は平常通り営業致します」と大書した長さ二十尺の懸垂幕八枚を建物の四囲に下げ、開店後はくり返しメガホン又はスピーカーで顧客に対し営業中である旨伝え、又ピケ隊に対しては顧客を入れるよう、通路をあけるように呼びかけたが、ピケ隊はその都度喚声をあげ、会社の呼声は打消されてしまつた。この間歳暮時の買物の為に都電、地下鉄等から続々顧客がつめかけ、入店しようとすると、スクラムを固めて入れず、時間がたつと共に混乱が増し、顧客やこれを見物する人々はたまつて車道や向側道路にまであふれ、交通は妨害された。又組合員湯原節子他四、五名がピケの間から中に入らうとして、その中の一人がピケ隊員にけられ、押倒された。右のような状況で当日は正面入口からはだれも店内に入ることができなかつた。
(2) 南口附近
会社の建物と相対する会社の別館食料品売場の前に、中鬪本部のある旅館松勘からマイクを引いて取付け、南口ピケ隊に対し直接中鬪本部から指示が行われた。早朝から四、五十名の組合員が集り、開店時には多数の人が集つた。そして組合員と応援団体からなるピケ隊は、旗竿を利用してピケを張り、その後方を幾重にもスクラムを組んで人垣を造り、その前に空トラツク数台を半円形に配置して防塞とし、だれも入店することができなかつた。午前九時半に会社でシヤツターを上げようとすると、喚声をあげ、掛声と共に外側からシヤツターを抑圧し、上りだすとこれにブラ下つてシヤツターを上げるのを妨害し、その為三枚のシヤツター中西側の一枚は内側に彎曲し、レールから外れてチエーンが切れ終日開扉不能となつた。開店間際になると、正面口、地下鉄口等であふれた顧客が次第に南口に詰めかけたので、南口附近はピケ隊、顧客、見物人等群衆で埋められた。組合は正面口同様、顧客に対しては「買物は他店でして下さい」、「ピケを破つて入店すると、顧客の不利益になりますから入店しないようにして下さい」と呼びかけ、喧噪を極めた。会社は午前十時の開店時になつたので、拡声機で再三営業中である旨を放送し、ピケ隊に対しては通路をあけるよう放送したが、ピケ隊は益々ピケを強化して客を説得するばかりでなく、客の入店を一切阻止したので、入店しようとする顧客とピケ隊との間で各所にいざこざが起つた。会社はこの状況を見て、日本橋署に保護方を願い出た。その後警官隊が来場し、署長は組合側役員と交渉したが、少しも進展しなかつた。午後日本橋署において、会社側大野本店次長と申請人伊藤等は署長を交えて種々交渉の結果、漸く南口一ケ所を三十分程して開けることを約したので、大野次長は直ちに帰店した。大野次長が帰店したのが午後一時四十分であつたので会社側は二時迄に一切の準備をするよう店内に指令して待機したが、一向にあける様子がなく、依然混乱状態が続いた。その内に午後三時半武装警官隊が到着し、署長からピケ隊に対し、約束通り通路を開くようスピーカーで警告を発したが、依然としてあけられなかつたので、署長はどうしても自主的にあけないならば実力行使をする旨放送し、警官隊は南口の東側から入つて通路をあけようとした。そのとき斎藤委員長はマイクの前に立ち、組合は自主的にあける、実力行使は待つて欲しい旨述べたので、警官隊は東側道路に引上げた。斎藤委員長は約束に従い、通路を開くよう指令を発し、努力をしたが、容易に目的を達することができずして時間を経過し、その間現場は益々混乱し、罵声は激しくなり、遂に警官隊は自発的にピケのとかれるのを待ちきれず、実力行使によりこれを開き、午後四時半頃漸く巾一メートル余りの通路ができたが、組合員及び応援団体が、通路の両側でスクラムを組み、赤旗を振つたり、労働歌を歌つたりして通行人を威圧したのと、通路開放の時間が遅かつたので、入店者は少なく、就労希望者、取引先、アルバイト学生等が入店しようとすると、これをつかまえてピケラインの中に引張り込み、なぐる、ける等の暴行を行い入店を阻止するようなことも行われた。なお当日六階劇場で五門会という長唄の会が行われる予定だつたが、入店を阻止された為開演できなかつた。
(3) 西口附近
西口は取引先の商品搬入口と店員出入口になつているが、十八日早朝からピケが張られ、午前七時半頃には応援団体が続々つめかけ、ピケに参加した。人員は数百名で前同様旗竿を用いてピケを張り、その後方を幾重にもスクラムを組んで人垣を作つて入店できないようにした。放送カーが西口の南端にとまり、マイクを通じてピケ隊を激励し、その後に人道と車道との間に「不当首切反対」「三越十八、十九日スト決行」と書いた幕をはつた空トラツクがおかれ、取引先の自動車、三輪車が納品に来るのを防ぐ防塞として使用された。午前九時頃より取引先の自動車、三輪車、リヤカー等が納入或は入店の為集まり、ピケ隊との間に入れる入れないで混乱が始つた。又店員の就労希望者との間にも小ぜり合が行われた。ピケ隊は取引先に対して「百貨店は三越だけではない。こんな日に品物を持込むやつがあるか。買つてやらないぞ。すぐ帰れ」などと言つて追帰したりした。そのため西口では早朝ピケ隊の手薄の時極めて少数の取引先及び店員が入店しただけで、その後はだれも出入できなかつた。
(4) 北口附近
午前八時頃からピケを張り、午前九時頃からは応援団体も加わつて、赤旗を振り労働歌を高唱していた。ピケの人員は百名位から次第に増え、二、三百名に達した。会社は午前九時半頃開店準備の為、扉を開けようとしたが、ピケ隊は掛声と共に、外部から押してきた。扉は屏風の様な折たたみ式の鉄扉であつたが、外部からの抑圧のため、どうしても開かず、遂に下のレールが外れて終日半開きの状態にあつた。ピケ隊は旗竿を用いてスクラムを組んで一切の入店を阻止したので、押掛けた顧客とのいざこざがあつたが、この入口からもだれも出入できなかつた。
(5) 地下鉄口附近
早朝からピケを張り、入口の所にギツシリ詰つて赤旗を振り、労働歌を高唱していた。百名位の隊員で旗竿を用いてピケを張り、厳重に人垣が作られた。会社が九時三十分に開店のためシヤツターをあげようとすると、これ又他の入口と同様に外部から抑圧し、妨害した。又顧客に対しては「都民の皆様へ」のプラカードを示して、他店で買物をすすめ、「無理に入店すると御客様の不利益になります」と叫んでいた。入店を希望する客とピケ隊との小ぜり合は度々演じられ、入店しようとする者や見物人などが一時は地下鉄の改札口附近迄溢れた程だつたが、顧客は結局入れないので正面口に廻る者も多かつた。この様な状況で一日中喧噪を極め、この入口からもだれも出入できなかつた。
(6) なお組合は緊急やむを得ないと認めた顧客については通行票を発行することゝし、南口に受付を設けて応接したが、組合の準備不足と当日の混乱のため、警察官の実力行使により入口を開けるまでに、殆んどだれも店内に入れなかつた。
(二) 十九日の本店におけるストの状況
(1) 正面口附近
十八日と略々同様の状況であつたが、ピケは一段と強化され旗竿等を持つて約二百名のピケ隊員がスクラムを組み、莚数十枚を持込んで時折坐り込み、終日入口を閉塞して喧噪を極め、赤旗の数、ビラの貼り方は前日よりひどく、ライオンの像などどこにあるかわからない様な状態だつた。開扉妨害、交通妨害も前日同様であり、この口からは一日中一名の入店者もなかつた。
(2) 南口附近
南口は入口が三つ(東側、中央、西側)あるが、十九日は中央、西側は二台のトラツクを置き、旗竿を用い多人数で人垣を幾重にも造つて入口をふさぎ、東側入口前に一メートル位の通路を作り、その両側に四、五列のピケを道路まで連ね、更に道路に沿つて両翼に半円形を画いて建物に達するまでピケラインをめぐらして、この通路を通らねば店にはいれないようにした。そしてピケの入口にリンゴ箱を置き、後述する通行票発行場所とした。会社が開店準備のためシヤツターをあげようとすると、前日同様に抑圧され、西側シヤツターは故障のため一日中開扉不能であつた。当日は通路があいているので、会社は開店と同時に「開店したから顧客を通すように」とスピーカーで放送したが、ピケ隊は喚声をあげて妨害した。広場の前の電柱には前日と同じく中闘本部から引かれたスピーカーが取付けてあり、「どうしても三越でなければならないお客様には通行票を出します」と放送した。右の放送を聞いた顧客は発行場所におしかけ、係の組合員等と盛に折衝していたが、入ることを許された者は事実上極めて少数であつた。そこで会社は午前十時十分頃日本橋署に客を自由に入れてくれるよう申入れた。その間南口広場は前日以上の混乱で、労働歌を歌い、赤旗を振り、盛に気勢を挙げた。かくして十時三十分頃警官隊が出動して、道路の交通を遮断し整理を始めたが、店への通路はなかなかあけられないので、会社は重ねて早く明けてくれと要求した。十一時半頃多数の警官隊が来て、放送カーで客が自由に入れる通路を作るよう営業妨害をするなと放送したが、通路があけられないので、警官隊は実力行使に移り、東側から入つて通路をあけ始めた。十二時三十分頃には六メートル位の通路があけられ、警官隊は東側の端に退去したが、通路の両側のピケ隊はスクラムを組み、通路に向つて赤旗を振りながら労働歌を高唱し、客に対しては口々にストだから入つてくれるなと宣伝威圧している為、客の入店は少かつた。通路が開かれたので、アルバイト学生、取引先、就労希望者等が入店しようとすると、男子学生はしばしばピケ隊にとらえられ、人垣の中に押込まれ、なぐられたり、けられたりした。取引先、就労希望者は「取引先だ」「店員だ」と指摘され、しばしば同様の暴行を加えられて入店を阻止され、それがため負傷した者もあつた。かくして三時三十分頃から「通路はあけてあるがストライキ中ですから買物は他店でして下さい」という放送がくりかえしなされ、混乱状態のまま閉店した。その後南口広場にはスト参加者全員が集合し、広場は人でうずまり、赤旗をふり、労働歌を高唱し、喧噪を極めた。そこに斎藤委員長が現れ、二日間にわたる闘争の成果をたたえて、参加者の労を謝し、今後も中闘指令に従つて頑張れと激励演説をし、伊藤本店支部闘委員長が二十二日から無期限ストに突入する旨宣言し、全三越労組の万歳を三唱して解散した。
(3) 西口附近
午前中は前日と同様の混乱を呈したが、午後になつて他の入口と違つて顧客の出入がない為比較的紛争を生じなかつた。空トラツク数台、旗竿数本を使つて前日と同様の隊形でピケを張り、ピケ隊員数も前日と大差がなかつた。ピケ隊員は午後になつて時々むしろを敷いて坐込み、労働歌を高唱したりして入口を閉塞し、取引先が歳末に売り込もうとして、必死になつて品物を搬入しようとするのを妨害した。ただ焼津からトラツクで持込まれた鰹節は道路上におろされたが、その搬入は阻止しなかつた。
(4) 北口附近
約三百名の者がむしろ数十枚、旗竿数本を用意し、他の人口同様むしろの上に時々坐り込み、或はスクラムを組み、入口をふさぎ、ビラを貼り、プラカードをたて、赤旗を振り、労働歌を高唱して気勢を挙げた。会社が扉を開こうとすると前日同様これを妨害したので、扉は故障を生じ、この日も半開のまゝであつた。その他の混乱は前日と同様であつて、この口からも終日一名も入れなかつた。
(5) 地下鉄口附近
約百名が赤旗をふり、労働歌を歌い、開扉を妨害し、客が溢れたが、この口からもこの日は一名も入店させなかつたことは前日と同様であつた。
これがため両日の売上は七百二十七万円であつて、昭和二十五年度の両日の売上一億四千万円に比して著るしく売上が減少した。
(三) 十八日の銀座支店におけるストの状況
午前四時三十分頃から女子組合員十五、六名及び外部の男子学生五、六名が東側仕入口附近に集つていたが、午前五時頃支店長は組合員及び応援団体より成るピケ隊員が仕入口のシヤツターのくぐり戸を外側から押しつけているとの報告を受けて現場に赴き、シヤツターが押されて彎曲しているのを見て、開扉不能になることを恐れてシヤツターの巻上げを命じた。そこで半分位巻上げたところ、争議団員約五、六十名が喚声をあげて店内に侵入し、会社側は非組合員約十数名で辛くも阻止した。時間の経過につれ、争議団はその数を増し、侵入を続け、甚しく混乱した。午前七時三十分頃ピケ隊員は約百名となり、道路にはみ出したので、会社の敷地内に入らうとしてV字形に店内に押したので、店内で侵入を支えていた非組合員の中桑原、倉橋、丹羽、湯浅、有賀の各部長及び二口主任はピケ隊の中に引き込まれ、桑原、倉橋、丹羽の三名は道路に押し出されて終日帰れず、残り三名は辛うじて店内に入ることができた。このようにして午前八時頃になつても現場の混乱はいよいよはげしくなり、収拾がつかないので、八時十分会社は築地署に保護方を要請した。この頃になると争議団員はその数を増して約三百名に上り、九時頃には正面口、西口、地下鉄口、東口の各入口にはピケ隊員が七重八重となつてスクラムを組み、旗竿を横に渡し、赤旗を振り、労働歌を高唱して喧噪を極めた。会社は開店の意思表示として五階の正面から「本日は営業致しております」と大書した懸垂幕を下げた。九時過ぎに正面と西口のシヤツターをあげたが、スクラムは強化され、特に正面口では「今日は営業をやらせない。買物は松屋、松坂屋、小松さんに」とか「三越ばかりが百貨店ではありません。三越で買物をしないで下さい」等大声で通行人に叫び続け、十時開店時になつても顧客の入店を一切阻止するので、十時三分再び警察に妨害排除方を要請した。一方仕入口で早朝から店内に侵入していた争議団員は、十一時頃多数の応援を得て店内に押し寄せて入口の見張所の窓硝子五枚を破り、組合事務所への通路の木柵もこわれてしまつた。そこで会社は仕入商品の台と一番目の柱とを利用して柵を作つた。仕入口前の東側道路は争議団で一ぱいになり、一般の交通ができなくなつたので、附近十数軒の商店から営業妨害の抗議を受けた。又京橋郵便局からは本店を通じて銀座支店及びその六、七階にある商社、教会への郵便物の配達をピケ隊員が拒否したのは不当であるとの抗議がなされた。この頃築地警察署は現場に出動して争議団に対して営業妨害にならぬようにとの勧告がなされ、又会社も組合に対して入口の通路をあけるよう要求したが、これを聞き入れず、十一時三十分頃になると、特に正面入口の混乱はその極に達し、入店希望の顧客とピケ隊との間に度々いざこざが起きた。そこで会社は止むを得ず拡声機で店外に放送しようとしたが、警察から銀座の場所柄これ以上の混乱をさけたいからやめるように、その代り警察から組合に対し勧告をしているとの申入れがあつたので、会社はこれに従つたが、十二時になつても争議団はピケの情況を改めないので、会社は十二時二十分更に警察に対し、書面で排除方を要請した。午後一時前後になつて警察から組合に対し、正面入口を開けるようにと勧告したが、午後三時に沼沢中闘委員から「入店を希望する客の中緊急の用事があると組合が認めた者に限り仕入口から入れるから受入れの用意をしてくれ」との申出が会社になされた。そのうち警察から、二時間以上も経つたのに全然返事がないからやむなく実力行使の上正面入口を開けるとの連絡があり、午後三時三十分頃警察官によつて正面入口前の交通が遮断され、午後三時五十分実力行使により正面入口が開かれ、午後四時漸くここから顧客を入れる事ができた。しかし組合員は入口の両端から左右のシヨーウインドウの前に数列に並び、入店する顧客に対して「三越で買わないで下さい」と大声で叫び続け、労働歌を歌い、赤旗を振つてどなつているので、客の入店は少かつた。午後五時閉店、シヤツターを下したところ、争議団員は全部東側道路に集合し、盛に労働歌を高唱して気勢をあげ、沼沢中闘委員が立つて、本日のストは完全に成功した明日も頑張つてくれと演説し、争議団員はこれに拍手を送つて全員引揚げた。
(四) 十九日の銀座支店におけるストの状況
午前五時頃から約二百名の組合員及び応援団体が東側道路に集合し気勢をあげ始め、午前七時頃には組合員及び応援団体が各入口にピケを張つた。会社は十八日の経験にかんがみ、東側の三ケ所の入口は開けないこととし、午前九時五十分正面及び西口のシヤツターをあげたところ、正面入口は赤旗を持つた争議団員を先頭に店内に約百名がなだれ込み、店内十三尺位の所まで侵入し、会社側非組合員などに対し威かく的な事を叫び続け、又赤旗を振り、労働歌を高唱して喧噪を極めた。又店外の争議団員は道路に面して旗竿を横に渡し持ち、その他の列はスクラムを組み、六、七重の厚さになつて入口を閉塞し、通行人及び入店希望の顧客に対し、前日同様の事を叫び続けた。西口は正面入口同様、旗竿を横に渡し持ち、五、六重のスクラムを組み、外部に向い気勢をあげていた。開店時間になつても此の状勢は益々猛烈になるばかりなので、会社は前日同様警察に対して妨害の排除方を願い出た。しかし事態は改まらないまま推移したが、十二時頃警察から組合に勧告したところ、西口をあけると確約したから準備するようにと会社に連絡があつた。組合は最初人が通れるかどうかと思う位な通路をあけたので、更に警察官の実力行使によつて漸く入口一ぱいに開かれ、顧客が入店し始めたのは十二時八分であつた。しかるに女子組合員は入口の両側からウインドウに沿つて二、三列に並び、大声で「今日はストですから買物をしないで下さい」「お買物は松屋、松坂屋でして下さい」と叫び、道路上では五人、十人の争議団が列を作り、ジクザク行進をしたり、店の入口を出たり入つたりし、また売場を赤旗をかついで歩き廻るなどした。又一方正面入口では朝から侵入していた争議団員は、買物をしている顧客に大きな声で呼掛け、買物をしないで下さいと叫び、労働歌を歌い、閉店まで喧噪を極めた。かくして漸く閉店時間が来たが、閉店後争議団員は全部東側道路に集まり、中闘の無期限スト宣言後、沼沢中闘委員の発声により組合の万歳を三唱して午後七時頃解散した。
このようにして売上高は、十八日は八十四万円余、十九日は二百十万円余で、スト直前の十六日の売上千百九十万円余に比して、著るしく売上が減少して会社は多大の損害を蒙つた。
(五) 十八日の新宿支店におけるストの状況
午前六時頃になると、店員出入口附近には組合員約五十名が集合していたが、その後組合員はだんだん数を増し、午前六時三十分頃から遂次各出入口に配置し、労働歌を歌い始め、七時頃には各入口ともピケラインをはつた。会社では六階から地下二階まで各階を開けて、実習生、取引先を各部長が監督して営業することとし、八時三十分頃から各入口及びシヨウウインドウのシヤツターを開ける事にした。ところが八時から九時までの間に、数百名の組合員及び応援団体が建物の周囲を取りまいており、特に入口は六重位に重なつてスクラムを組み、赤旗を振り、労働歌を高唱し、時々喚声を挙げていた。実習生の入店は九時十五分になつているので、その頃大淵庶務部長は店員出入口に行つて、ピケ越しに蔵部中闘委員に「実習生及び取引先は第三者であるから入店させてくれ、又宿直室前に格納してある小型自動車を外に出させて貰いたい」と交渉したが、蔵部中闘委員はこれを断つた。その為実習生及び取引先は入店することができず、やむなく別館寄りに並んで待機することになり、自動車も出すことができなかつた。会社は三階にスピーカーをつけて、本日は営業する旨の放送を始めたが、ピケ隊はこれを打消そうとして喚声を挙げた。会社は一階北側及び東側のウインドウに「本日営業中」のビラをはりつけたが、組合は直ちにそのビラの上に「本日スト中」のビラをはつて妨害した。このような状況の中に開店時間十時になつたので、会社は防風扉及びその他各出入口の全部を開いたが、固くスクラムを組んだピケの為に顧客は一名も入店できず、実習生、取引先も入店できなかつた。そこで会社は、十時十分やむなく警察に営業妨害の排除を要請することとし、各入口がふさがれているので、使の者は裏の塀を乗りこえて申請書を提出した。又加藤食糧品部長は、生鮮食料品の取引先の入店を組合の責任者と交渉する為裏の塀を乗り越えて、店員出入口に赴き、組合の小西書記長に入店方交渉中、取引先は入店しようと後から同部長を押して来たのでもみ合いが始まり、同部長は応援団体員に足をけられた。その外十時半頃北側西口で一顧客が入店しようとするとはね返され、二、三回同じ事をくり返したが遂に入店できなかつた。南口ではある婦人客などは会社側の部長に入店を要求しようとしたが、それすらピケ隊の喚声によつて妨害されて通じないので、帰つてしまうようなこともあつた。このような状態が続くので、十時四十五分会社は再度ピケの排除方を淀橋署に申請した。そこで署長は会社組合双方が署長立会の下で会談するよう十一時三十分頃二幸事務室に双方を呼び出した。そこで会社側は一刻も早くピケを解いて貰いたいと述べ、組合側はピケは正当であると主張し、互に議論したが結論が出なかつた。署長は「現状では営業妨害の疑があるから組合側は自主的にピケを解いたらどうか、もし出来なければ実力行使もやむを得ない」と組合に要求した。組合はこれに対して支部だけでは決しかねるから、中闘と相談する為一時間位の暇を貰いたいと答え、署長は「では一時間まつ、それでもあけなければ実力を行使する」と言つて午後零時三十分会談を終つた。その後二時になつてもこの状態が改らないので、会社は三度目の要請を警察にした。かくして二時三十分頃警察カーがグリーンベルト側に現れてピケを解けと警告したが、ピケは一層強化され、ピケ隊員は喚声をあげてこれに対抗する気勢を示した。二時四十分遂に警察の実力行使が行われ、西口と北口のピケが解かれ、顧客は入店を始め、実習生、取引先も次々に入店し、営業が可能となつた。警官の実力行使によつて、組合側は裏側に移動し、労働歌を高唱し、裏通りは非常な喧噪と混雑を極めた。この状況が午後五時まで続いて会社は閉店ベルをならし、シヤツターを下した。
(六) 十九日の新宿支店におけるストの状況
十八日と同様午前六時頃から組合員が集合し始め、六時三十分頃には五十名程の組合員が店員出入口に集つた。午前七時三十分頃には組合員らはグリーンベルト側の西口北口にも前日同様のピケを張り、その他の各入口も同様ふさいだ。八時十分頃組合から会社に会見を申し込み、庶務部事務室で淀橋署次席が立会い、会社側長谷川次長、大淵庶務部長と組合側蔵部、市川支部闘委員、応援団体員三名が会見した。席上蔵部は、入口のピケを解いて一ケ所だけ開きたいが、どこが良いかと申入れ、長谷川次長は全面的にピケを解く事を主張した。組合側はこれに応ぜず、一ケ所しかあけられぬ、一ケ所ならどこが良いかと重ねて主張し、会社側はどうしても一ケ所というなら、客の出入の最も多い西口がよい旨答えた。これに対し、蔵部は西口は困る、南口にきめてしまつたのだが、それではいけないかというので、会社側は南口は客の出入の最も少い入口なので、あけても入口があいているとは考えないといつて会見は打切られた。こうして時間の過ぎると共に、ピケは益々強化され、前日よりも人数が増し、労働歌を高唱し、赤旗を振り、喧噪を極めた。十時開店時刻となつたので、各扉をあけたところ、各出入口はスクラムを組んでピケによつて完全に出入を阻止され、組合が通路をあけるといつた南側の入口は東口だけで、しかも通路は巾一尺程度で、両側にはピケ隊員が並んで坐り込み、両足を投げ出し交互に足を出したり引込めたりする者もあつて入店を妨げられ、また両側から「スト中です」「入らないで下さい」と手をあげて制止などするので、引返す者もあつた。十一時三十分頃駒沢学園女子高校石井教諭が三十名程の女子実習生を引率して入店しようとし、石井教諭とこれに続いた約十名が入店した時ピケの中から「実習生だ、入れるな」とどなり出した為に、実習生は驚いてかけ入ろうとし、一人がピケ隊の出した足につまずいてころび、その後の者がその上に折重つて倒れ、交通整理に来ていた警官がとび込んで漸く整理した。このため実習生の中には足をけられた者、肩をふまれた者等がおり、この混乱時に雑貨の取引先女店員が一しよにもまれて下敷きになり、全身打撲を負い、救急車で病院に連れて行かれた。この事故以来ピケは立上つた為、通路の巾は約三尺になつたが、両側から相変らず入店する客に対して叫びつづけていた会社はこのような状況に対処する為、十二時すぎ妨害の排除方を淀橋署に申請した。警官隊は前日同様再三もつと広くあけるように警告したが、その効がないので、午後一時になつて、遂に警官の実力行使により、北口一ケ所をあけ、漸く顧客の入店ができるようになつた。前日と異なり北口一ケ所だけあいたので、この入口の周囲に争議団員が集合し、メガホンで「スト中です、買物はしないで下さい」と叫び歩く者もあり、三時三十分頃買物をして店外に出た客でピケ隊員からすねをけられた者もあつた。前日同様五時になつたので閉店ベルをならし、シヤツターを下した。
これがため売上は、十八日は三百四万円余、十九日は二百九十六万円余であつて、スト直前十六日の売上二千百六十八万円余に比して著るしく減少した。
かように認められる。
五、ピケッティングの正当性
よつて組合の行つた右のような争議行為の正当性について判断する。
思うに、労働組合がストライキを行う場合、できる限り他の労働者の就労するのを防いで、ストライキの実効をあげようとすることは、組合として当然の要求であつて、ピケッティングの手段がこのために認められている事はいうまでもない。しかしながら、使用者がストライキによる損害から企業を守るために、組合外の労働者を雇入れ、就労させることはこれを禁止する何らの法規もなく、法律上は一般に使用者ならびに当該労働者の自由に委せられていると解する外はないから、組合がこれを阻止するために用い得る手段もまた、おのずから限度のあるのはやむを得ない。即ち、組合員が結束して就労しようとする者を見張り、言論によつて説得し、或は団結による示威などの手段によつて、就労希望者の意思に働きかけ、就労を思い止まらせることはもとより違法ではないが、暴行、脅迫その他有形力を用い、或は企業施設を外部より閉鎖遮断するなどして、就労希望者の行動を、その意に反してまで拘束することは許されないといわねばならない。
しかるに、本件争議においては、右に認定したように甚しく多数の組合員等が、被申請人会社東京三店の各入口に密集し、幾重にも厳重なスクラムを組み、旗竿、トラツク等の資材を用いて、完全に店舖を外部から遮断し、ために組合員ばかりでなく、非組合員、アルバイト学生、取引先等の就労希望者から、一般顧客に至るまで、店内への出入が不可能となり、緊急の用務のため特に入店を認めた極めて少数の顧客及び早朝組合員の手薄の時に入店した少数の者を除き、各店とも殆んど入店した者もなく、警官の実力行使によつて漸く一部通路が開かれた後も、前記のように組合員等から様々な妨害を受けて、その通行を著しく阻害されたのであつて、かような行為は明かに前示のピケッティングの正当な範囲を逸脱したものといわなければならない。殊に右のような多数組合員が密集して盛に気勢をあげたため、現場は興奮と喧噪を極め、入店しようとする顧客、取引先、アルバイト学生との間に随所で紛争を生じ、前示のような組合員等による暴行脅迫も行われたのであつて、その不当なことは明かである。
申請人等は、取引先等の就労希望者が、暴力を用いてピケを破り、強引に店内に入ろうとするので、これに対抗するため、やむなく本件のように強力なピケを組んだと主張するが、先にも述べたように、組合は、取引先、実習生に対しては、予めその態度如何にかかわらず、「実力をもつてこれを阻止」すべく決意していたのであり、又当日のピケは、当初から何人も通常の方法では、到底通行不可能な状態を現出しており、しかも通路の一部が警官によつて開かれた後も、穩かに入店しようとする取引先、実習生等に対してさえ、暴行脅迫を加えた事実がしばしば見られるから、この点に関する申請人等の主張も採用することができない。
なおここに取引先の入店阻止について一言ふれておかねばならない。取引先のなかには単に販売の手伝をするに過ぎない一般就労希望者と同様の性格をもつた者もある。これらの者に対する争議手段は一般就労希望者に対すると同様考えてよい。しかし例えば、肉、魚、菓子、めがねの販売、とけいの修理などのように、取引先が常時店で販売に従事し、その売上金のなかから一定率の金額を会社が差引き、残りを納入代金として支払を受け、或いはいわゆるケース貸と称し、一定率の場所代を払つているに過ぎないもののあることも認められる。これらの取引先は店の売場を一面自己の営業の場所とし、継続してそこで自らの営業をしているのであるから、これらの取引先を店に入れないことは、他面労使の紛争に直接関係のない取引先の営業そのものを直接妨害することになることを考えなければならない。年末の売上時に当つて、これらの取引先が必死になつて入店しようとしたのも、それがためである。従つてこれらの者に対する争議手段の許される範囲もおのずから一般就労希望者に対する争議手段と異らざるを得ないのは当然であつて、平和的説得を出ることができないのはいうまでもなく、その説得の限度も一般就労希望者に対するより厳格に解さねばならない。しかるに本件争議においては、二、三取引先で入店を許した者があるにしても、この種取引先の殆んど全部を、右の限度を超え実力をもつて完全に入店を阻止したのであつて、到底正当な争議行為ということができない。
更に問題となるのは顧客との関係である。ストライキにおいて組合外の就労希望者がピケッティングの対象とされるのは、もとより当然であるが、顧客は本来当該労使間の紛争について全く関係のない第三者であるから、前に特殊な取引先について述べたのと同様、これに対する争議手段の許される範囲もおのずから異ならざるを得ないのは当然であつて、少くとも一般のボイコツトの場合同様、原則として平和的説得以上に出ることはできないのはいうまでもなく、説得の限度も組合員に対する場合よりも厳格に解せざるを得ない。しかるに、本件争議においては、前記のように、明かにこの限度を超えて、多数の顧客の出入を完全に阻止し、実力によつてその購買行為を不可能にしたのであつて、この点もまた到底正当な争議行為ということができない。
又申請人等は、当初から是非三越で買物をしたい顧客は入れるのが組合の方針で、これに基いて、たとえば、警官の実力行使前でも緊急の必要のある顧客は受付を設けたりして応接した上、通行票を発行して入店させたと主張するが、前記のように、本来の出入口をすべてピケによつて遮断し、顧客を特定の場所に来させて、組合員がその目的を調査した上入店させるような事自体、前示のような争議における顧客の地位から見て既に正当といい難いばかりでなく、右のような組合の顧客に対する措置も、組合の準備不十分もあつて、当日の甚しい混乱の中では、ごく少数の顧客を除き、殆んど行われず、しかも組合員等は、強いて入店しようとする顧客に対し様々な罵言威圧等を加え、しつように入店を思い止らせようとし、結局多数の顧客は事実上入店を不可能と考えて断念する有様であつたことが認められる。銀座、新宿各支店においては、右のような顧客に対する措置さえ行われた形跡が認められない。また警官の実力行使によつて、漸く各店とも一、二の出入口に通路が開かれた後も、現場は混乱と喧噪を極め、通路を殊更にせばめて両側に坐りこみ、通行する顧客に罵声をあびせるなどのいやがらせも行われ、これがため顧客の入店はかなり妨げられたことは明かである。これらの点から考えて、申請人等の右主張も採用できない。
申請人等はまた取引先、実習生等が顧客に混入して入店することを妨ぐため、顧客に対してもピケを張る外はなかつたと主張する。しかし、たとえ就労希望者に対しても、実力による出入の阻止まで許されぬことは、すでに述べたとおりであるばかりでなく、その点は暫くおくとしても、単に取引先等との判別が困難だからというだけで、顧客の出入を禁じてよいという理由にならないことは、前に顧客について述べたことから明かであろう。まして本件では、直接顧客に対してもできる限り入店させないようにして、会社の営業を妨げる意図でピケが張られたことは、前認定の組合のピケの計画及び実施の状況などからも十分うかがえるのであつて、申請人等のいうように、単に就労希望者を阻止することの反射的結果として生じた現象だけであるとは到底考えられないからその理由のないことはもちろんである。
申請人等はまた、被申請人会社のような百貨店営業に於ては、その操業に特殊の技能を要しないため、職場代置が容易であり、また、店舖の性質上一般人の出入が自由であるから、通常の場合より強力なピケッティングを認めなければ、到底労使の対等を実現することができないと主張する。たしかに百貨店営業においてそのような事情のあることは否定できない。この点は争議行為の正当性またはその情状の判断に当つても或る程度考慮しなければならないであろう。しかし、それだからといつて、前記のような有形力を行使し、企業施設を事実上閉鎖し、第三者である顧客まで入れないような争議手段まで許されるとは認め難く、右の事情を十分考慮しても、すでにのべてきたような本件争議行為が全体として著しく行き過ぎた不当な争議行為であることは否定できない。のみならず、申請人も認めるように、かような企業では、顧客が常に職場に出入するため、争議行為を行うことが、ともすれば顧客の権利を侵害するおそれがあり、さればこそ被申請人会社のような企業では、争議手段を慎重に選択すべきことが、特に要請されるという立論もまた成立つのである。よつて申請人等の右主張もまた採用できない。
申請人等は更に、本件争議行為は、会社が全三越労組に対して不当労働行為を行い、違法な懲戒処分をしたので、これに対抗するためやむを得ず実施したのであるから、仮に多少の行き過ぎがあつたとしても、当然に違法とすべきでなく、少くともこれを理由に懲戒解雇の重い処分を科することは不当であると主張する。しかしながら、一般に不当労働行為たる解雇のように、双方の主張が対立し、第三者の判定をまつて始めてその違法性を決することができるような場合には、法の定める正規の救済手続を利用するか。若しくは、通常の争議手段を行使してその解決を計るべきであつて、申請人等のいうように、これに対抗して当然に行き過ぎた争議行為を行うことが許されるものとは考えられない。よつてこの点に関する申請人等の主張もまた採用できない。
第三、中闘委員の責任
一、右のようにいずれの点から見ても、本件のピケッティングは違法な争議行為というほかはないが、進んでこれに対する中闘委員の責任について考えよう。
およそ中闘委員が、自ら違法な争議行為を決議ないし執行、指揮したような場合に、その違法な争議行為につき責任のあることは明かであるが、中闘委員の当初の意図を超えて、違法な争議行為がなされた場合でも、中闘委員は右争議行為の行われることを知り得た以上は、その職責として違法な争議行為の防止に努力すべき義務を負うものというべく、これをことさらに放置して行わせた場合はもとより、またこれを防止し得たに拘らず、防止のために努力しなかつた場合にも、同様の責任を負うものと解するのが相当である。
すでに述べたように、闘争中の組合の最高執行機関である中闘委員会は、本件ストライキの実施に当り、就労希望者、顧客との問題を予め顧慮し、組合員については絶対に入店させない。取引先、実習生は「実力を以て」入店を「阻止する」、顧客に対しては、緊急やむを得ない買物の場合のほかは、できる限り説得して入店させないという方針をとり、これを組合員に周知させ、その具体的な方法として、「重厚な隊形を布」いてピケを張り、厳重に出入を阻止するよう詳細な指示を与えていたことが認められる。もつとも中闘委員らがピケの対象に応じ、多少取扱いを異にするよう、事前の配慮をめぐらし、また特に「なぐつたりする暴力を使わない事」等を示して一応暴力の発生を予防しようとしたことは認められるが、前記の事実によれば、右の方針、指示等の文言並びに疎明によつて認められる組合幹部の態度、方針等から見て、就労希望者を全然入れないことはもとより、顧客についても、できる限り入店させないようにする意図で、全体としてかなり強硬な決意をもつていたことがうかがわれるのであつて、前記のように警官の実力行使を見るまで、殆んど顧客をも含め何人も出入できない状態に立至り、これに伴つて前認定のような暴行脅迫さえ所々に行われるに至つたことは、決して偶然のできごとでなく、かような強硬な争議方針をとる限り避け得ない結果であつたと認めざるを得ない。のみならず、現実に行われたピケの状況が、組合幹部の当初の意図を超えたものであつたとしても当日の組合員の争議行為はすべて組合幹部の指導掌握の下に行われ、中闘委員等は、現場の状況を知り又は知り得た状況にありながら、不当行為を阻止しようとした形跡も殆んどなく、むしろ敢てこれを肯認し、終始激励指導して行わせたことが認められるから、本件の違法なピケッティングについて到底その責を免れることはできない。
ここで多少考慮すべきことは、本件争議における応援団体との関係である。さきに認定したように、十八、十九両日は、早朝から多数の外部組合員が現場に集り、全三越労組員と共にピケを張つたのであるが、その数は頗る多く、非常な気勢を上げ、むしろ全三越労組員より外部の組合員等がピケの中心となつて活躍した感があることは疎明を通じて明かなところであつて、違法なピケの責任も多分にこれら応援団体にあるとも思われる。しかもこれら外部の組合員に対し、全三越労組の幹部はこれを直接指揮する権限がなかつたものと認められるので、この点については、全三越労組並びにその幹部にとつて同情すべき事情があり、その責任を問うについてもじゆうぶん考慮しなければならない点である。しかしながら本件争議応援のために組織された応援共闘は中闘の主導性を尊重し、中闘の意に反する指令は出さない方針をとつていたことも認められるから、全三越労組並びにその幹部においてこのような行き過ぎた争議行為を避けようと思えば絶対に避け得られなかつたとは認められない。従つてその責任の全部が応援団体にありとして、全三越労組並びにその幹部の責任を不問に附することはできない。まして右外部の組合員らは主として前記応援共闘会議傘下の組合員であり、しかも全三越労組はかねてこれと緊密に連絡協力し、本件ストライキについても、その協力を要請し、当日は全三越労組員がこれら労組員と一体になつてピケを張り、中闘委員等もまた、これら外部組合員等の行き過ぎた行為を見ながら、これを阻止しようとした何らの形跡もなく、むしろ直接指揮こそしないまでも、他の労組指導者等と共に終始これを激励し、その協力に感謝し、更に協力を求めているのであつて、この点において前記中闘委員の職責にかんがみ、中闘委員等は右外部組合員等の行動についても到底その責任を免れることができない。
以上のとおりであるから、本件ピケッティングを含め、十八、十九両日の争議行為を決議執行し、全般的指導並びに実施の任に当つた中闘委員等は、いずれも違法な争議行為についてその責任を免れず、「会社の業務を著しく防害し」「故意に会社の信用を害し、会社に甚大な損害を与えた」(就業規則第六十九条第一、二号)ものとして、懲戒解雇に処せられたのもやむを得ないといわなければならない。
二、そこで申請人等のうち中闘委員各自の行動について検討する。
(1) 申請人斎藤一衞
申請人斉藤は、組合の中闘委員長であつたことは争がないから、反証のない限り一応前記違法な争議行為の企画、指導並びにその遂行に当つたものと認めなければならない。もつとも昭和二十六年十二月十八日午後本店支部からの連絡により、本店南口をあけることについてピケ隊員に説明を求められ、午後三時半過ぎ頃本店南口広場に出向いてピケ隊に指示を与えて、警察の指示に従い通路を開けるよう説得に努力した点も認められるが、同月十九日午後五時三十分頃、同じく南口広場に本店のスト参加者全員を集合させ、トラツク上に立ち二日間にわたる争議行為の敢行及び協力を謝し、なお一そう強力な鬪争の支持を求めたことからも、本件争議を中心となつて推進したことが認められるから、本件違法争議行為につき、その責任を免れない。
(2) 申請人奧沢重太郎
申請人奧沢は、組合中闘副委員長であつたことは争がないから、反証のない限り本件争議行為の企画、指導及びその遂行に参与したものと推認しなければならないばかりでなく、昭和二十六年十二月十八日早朝には本店正面入口附近において、ピケの準備に当つたことが認められるから、本件違法争議行為につき、その責任を免れない。
(3) 申請人中山久雄
申請人中山は、組合中闘副委員長であつたことは争がないから、反証のない限り本件争議行為の企画指導及びその
遂行に参与したものと推認しなければならない。もつとも本件ストライキを決定した前記中闘会議には出席していなかつたことは認められるが、その直後主要な決議事項は斉藤委員長から聞いてこれを了承しており、十八、十九両日は主として関係官庁方面との折衝交渉に当つていたが、当日の現場の状況を知りながら、このようなピケのはり方を阻止しようとした形跡もなく、全体として他の中闘委員と一体となつて、本件争議全般の指導の責に任じたことが認められるから、本件違法争議行為につき、その責任を免れない。
(4) 申請人中村圭介
申請人中村は、組合中闘書記長であつたことは争がないから、反証のない限り本件争議行為の企画、指導並びにその遂行に参与したものと推認しなければならないばかりでなく、情報のしゆう集並びに宣伝について担当していたことが認められるから、本件違法争議行為につき、その責任を免れない。
(5) 申請人伊藤久雄
申請人伊藤は、組合中闘委員兼本店支部闘委員長であつたことは争がないから反証のない限り本件争議行為の企画、指導並びにその遂行に参与し、十八、十九両日本店争議の指揮者として現場において争議行為を指揮したものと推認しなければならないばかりでなく、十九日午後五時三十分頃本店南口広場に立ち二十二日以降無期限ストに突入する旨の中闘指令を発表したことが認められ、この事実からも本店における本件争議を指揮していたものと認めることができる。また十九日午前十一時半頃会社の郵便物を持つて入店しようとした組合員星野静江の左の胸の辺をつき、又同日午後三時頃入店しようとした同人の襟の辺をつかみ、二回にわたり他の組合員と共に、同人の入店を実力で阻止したことが認められる。従つて本件違法争議行為ならびに不法な行為につき、その責任を免れない。
(6) 申請人沼沢運助
申請人沼沢は、組合中闘委員であつたことは争がないから、反証のない限り本件争議行為の企画、指導並びにその遂行に参与したものと推認すべく、しかも組合の銀座正、副支部長がストを回避してストに参加しなかつたため、同人が中闘から銀座支部闘に派遣されていたのであつて、昭和二十六年十二月十八日午前中、同支店東側裏通りにおいてピケの現場を指揮して、顧客、取引先、アルバイト学生等の入店を阻止させ、同日午後一時頃、同裏通りにおいて会社側責任者とアルバイト学生との会見が行われた際、同人は組合側責任者としてアルバイト学生の入店を拒否する旨主張したこと、同日午後三時頃組合側から支店長に会見申入の際、同人は組合代表者として正木支店次長に対し、来客中組合が緊急の用件があると認める者に限り、仕入搬入口から入店させ、他の者は入れない旨を主張したこと、同日午後六時頃裏通りにスト参加者全員を集合させて、十八日の鬪争の成果をたたえ、参加者の労をねぎらつたことが認められる。これらの点からも同人が銀座支店における争議の責任者としてその指揮に当つていたことがうかがえるから、本件違法争議行為につき、その責任を免れない。
(7) 申請人蔵部武
申請人蔵部は、組合中闘委員であつたことは争がないから、反証のない限り本件争議行為の企画、指導並びにその遂行に参与したものと推認すべく、十八、十九両日新宿支店において同支部委員長関博に代り争議行為の指揮に当つたが、昭和二十六年十二月十八日午前九時十五分頃、新宿支店大淵庶務部長が実習生、取引先等の入店方を申入れたのに対してこれを拒否したこと、同日午前十時頃新宿ライオンビヤホール前の支部闘本部において指揮していたこと、翌十九日午前八時十分頃、警官立会の上話合つた際、会社側は北口をあけられたいと希望したのに対し、同人は組合を代表して、狭くて通常客の出入の少い南側入口をあけると主張し、午前十時になつて始めて通路を南側東口に設け、前記のように、その通路をせばめて顧客の入店を著しく阻害したことが認められる。こういう事実からも、新宿支店における指揮者として争議行為を推進したことが窺われるから、本件違法争議行為につき、その責任を免れない。
第四、中闘委員以外の申請人等の責任
(1) 申請人駒井謙三
申請人駒井は、組合本店支部闘委員かつ本店南口責任者として本件争議行為に参加してその遂行に当つたことが認められる。特に昭和二十六年十二月十八日午前八時頃、南口でピケを張つた数十名の組合員が、シヤツターの上がるのを抑圧し、そのためヒユーズがとび、レールから外れて閉扉不能となつたシヤツターもあつたが、同人は支部闘委員の地位にありながら、このような行為をなすがまゝに放置したこと、同日午前十時頃南口前にいてピケ隊が顧客、取引先等の入店を阻止するのを指揮したこと、翌十九日は殆んど終日南口通路にいて、取引先、アルバイト学生、店員等が通る度に「職先だ」「アルバイトだ」「店員だ」と指示して叫び、ピケ隊員がこれ等の者を押返し、突飛ばす等の暴行したりするのを助力したことが認められる。以上のように、申請人駒井は支部闘委員かつ本店南口責任者として、違法な争議行為を率先して推進し、かつその都度適切な処置をとろうとせず、かえつてこれを容認した点において違法争議行為について責任を免れない。
(2) 申請人一条キク
申請人一条は、本店支部闘争委員かつ本店西口店員出入口責任者として、本件争議行為に積極的に参加したことが認められる。特に昭和二十六年十二月十八日早朝西口において主として婦人組合員を指図して、取引先、就労希望者の入店を阻止させ、店員は絶対に入れないとの争議方針に従い、同日午前八時半頃西口において、入店しようと待つていた出納部員海治良子、湯原節子に対し、或は腕をつかむなどして入店しないように強く要求し、翌十九日午前十時過ぎ、南口から店員星野静江が入店しようとした際、数回にわたり両手で同人の胴を突いて道路に押し返し、同日午後南口においてピケの端にいて指揮し、ピケ隊員に取引先、学生、店員らの入店を実力をもつて阻止させたことが認められるから、支部闘委員として違法争議行為を率先して推進し、かつ右のような実力によつて店員らの入店を阻止した違法行為につき責任を免れない。
(3) 申請人野崎慶造
申請人野崎は、組合員として本店において本件争議行為に積極的に参加し、昭和二十六年十二月十八日早朝から北口及び西口附近を巡回し、率先して気勢をあげ、午前七時頃西口において就労希望者の入店を阻止したり、午後四時半頃南口附近において警官が実力行使した際、ピケを強化するように活躍したこと、翌十九日午前十時頃南口の通行票発行所において、非組合員佐藤菊子、家泉正子が、非組合員だから通行票を発行してくれるように頼んだのに対し、発行を拒否して入店を阻止し、同日午前十一時三十分頃南口において入店しようとした取引先派遣員五味ときえに対し、「化粧品だ」と叫んで、外数名と共にだきかかえてピケの後方に放り出し、その入店を阻止し、午後四時三十分頃五味ときえが再び南口から入店しようとした際、同じく数名と共に上半身をとらえて引戻し入店を阻止し、その外午後警官の実力行使により通路が広げられてから、取引先、学生、店員等が入店するのを監視し、これらの者が通路を通るたびに、「職先だ」「アルバイトだ」「店員だ」と指示し、ピケ隊員と共にこれらの者をとらえて押し返すなどの暴行を加えて入店を拒否したことが認められるから、右違法争議行為を率先して推進し、かつ右のような違法な行為をしたことについて責任を免れない。
(4) 申請人相模健市
申請人相模は、組合員として当日本店西口において本件争議行為に積極的に参加し、特に昭和二十六年十二月十八日午前七時頃本店西側仕入口において、入店しようとする取引先を送り箱のふたで板が割れる程なぐつたり、同日午前十時五十分頃取引先板倉商店の板倉栄一が、南口から入店しようとすると、同人の頭部及び顏面をなぐり全治一週間の傷を負わせてこれを阻止したことが認められるから、右違法争議行為を率先して推進し、かつ右違法行為によつて取引先の入店を阻止したことにつき責任を免れない。
(5) 申請人渋谷[金土]喜江
申請人渋谷は、組合員として本店において本件争議行為に積極的に参加し、その遂行に当つたが、特に昭和二十六年十二月十九日午前十時頃から終日南口ピケラインにおいて、取引先、学生、店員等が入店しようとして通路を通るたびに、「職先だ」「アルバイトだ」「店員だ」と指示してピケ隊員と共にこれらの者をとらえ、押したり引張つたりしてピケラインの中におし込めて入店を阻止するなど、かつぱつに争議行為に活躍していたことが認められるから、率先して本件違法争議行為を推進し、かつ右のような違法行為をしたことについて責任を免れない。
(6) 申請人中村初枝
申請人中村は、組合銀座支部闘委員として銀座支店において本件争議行為に参加し、平素店の作業以外に事務服を着ることを禁じられており、当日庶務課長から注意をうけたに拘らず、これを着て、争議に活躍したのであつたが、特に昭和二十六年十二月十八日早朝ピケ隊員を指揮して同支店東側裏口シヤツターくぐり戸を外部から抑えてあかないようにしたり、シヤツターがあいてからは、ピケ隊員を指揮してスクラムを固め、会社側から出入口を開放するように要求したが、これに応ぜず、同日午前七時半頃仕入口で争議団員が店内に向つて押寄せた際、同人の所属する雑貨部の桑原部長を指さし、同部長が暴力をふるつた旨叫んで勢をあおつたので、同部長はピケ隊員に道路の方に引つぱり出され、手と左ほほを引つかゝれるなどの暴行を受けた。その他十八、十九両日の争議を通じて、前記沼沢と協力して、銀座支店における前記不当な争議行為を強力に推進したものと認められるから、支部闘委員として右のような違法争議行為を率先して推進したことについてその責任を免れない。
(7) 申請人古波蔵節子
申請人古波蔵は、組合員として新宿支店において店員出入口の副班長として本件争議行為に積極的に参加し、昭和二十六年十二月十八、十九両日新宿支店において支部闘本部との連絡に当り、十八日には盛に放送をしたり、ピケ隊員に指示をしたり、ピケラインの前で労働歌のリーダーになつたりして、率先して組合員の気勢をあおり、翌十九日午前中同人は争議現場にも現われ、腕章をまきメガホンをもつて、南側道路を巡回してピケ隊員の士気を鼓舞し、同日午後二時頃南口のピケ中央にスクラムを組み、ピケ隊員に最後まで頑張るよう呼びかけ、率先して労働歌を高唱しながら、体を左右に振り音頭をとつて、気勢をあおつたことが認められるから、これらの事実を綜合すると同人は違法な本件ピケにつき率先して強力にこれを推進したものというべきであつて、右違法争議行為につきその責任を免れない。
(8) 申請人鳥山恵司
申請人鳥山は、組合役員ではなかつたが、腕章、たすき、鉢巻などして、新宿支店において本件争議行為に積極的に参加したものであるが、特に昭和二十六年十二月十八日午前七時頃裏通りにおいてピケ隊の気勢をあおり、同日午前十時半頃西口ピケライン附近において、顧客貫井良祐が組合の説得をきかず、強行にピケを押しのけてはいろうとしたところ、胸のあたりを突いて入店を阻止したこと、同日午後一時頃南側道路において多数の争議団員の前で大声で叫んでピケ隊員の気勢をあおり、同日午後三時頃警官の実力行使直後の東側道路において、たすきをかけ腕章をまいて、警官と相対して道路に参集したピケ隊に対しても、気勢をあおつたこと、翌十九日午前十時五分頃東口において、通路が一旦開かれた後、通路の入口に立ちピケを張るようにと叫んだので、現場は一時混乱し鳥山が労働歌を歌つたので皆これに和し、客の入店は阻止され、同日午前十時半頃、同じく東口通路に立つて両側に坐りこんだピケ隊に向い、気勢をあおつていたことが認められるから、同人は本件違法なピケを強力に推進し、かつ違法な行為をしたものとしてその責任を免れない。
以上に認定したとおりであるから、右申請人等が或は支部闘委員として、或は組合員として特に積極的に本件争議行為を実行し、「会社の業務を著しく妨害し、」「故意に会社の信用を害し、会社に甚大な損害を与えた」ものとして懲戒解雇に処せられたのも止むを得ない。
第五、申請人等の不当労働行為の主張に対して、
申請人等は、会社は組合設立当時から組合の弱体化を図り、その方策として組合の有力分子を排除しようという意思を、昭和二十六年賃上闘争以来一貫して有していたので、申請人らに対する解雇は平素の正当な組合活動を真の理由とするものであり、殊に申請人等のうち中闘委員に対する本件懲戒解雇は本件争議行為についての責任に名を借りて、右中闘委員等の平素の正当な組合活動を真の理由としているのみならず、同じ行動をとつた中闘委員十六名の中から特に申請人中闘委員七名だけを解雇し他の九名については解雇はもとより、他の懲戒をも行つていない点から見ても、本件解雇は不当労働行為であつて無効である。と主張する。一般に、使用者がある従業員に対してはことさらに軽微な不当行為を取り上げて不相当な重い処分をし、同じ行動をした他の従業員は寛大に取扱い、しかもその差別の理由がその従業員の正当な組合活動と認められる場合には、不当労働行為が成立し得ることはもとより否定できない。しかしながら、さきに認定したとおり、申請人らの各行為は何れも会社業務を著しく妨害する不当な行為であり、これに対する懲戒解雇も重きに失する処分とは考えらない。被申請人が、かような不当行為につき、前記のような事実から特に責任が重いと考え、申請人等を懲戒解雇にしたのは、使用者としては一応やむを得ない措置と認めるほかはない。たまたま同様な争議を行つた者を解雇しなかつたからといつて、これをもつて直ちに組合の支配介入であるとも考えられず、また申請人等の平素の正当な組合活動の故に解雇せられたものとは断ぜられない。その他申請人等の立証をもつてしても、いまだ本件解雇が申請人らの平素の組合活動の故になされたものであることを認めるに足りないよつて申請人等の右主張は採用できない。
第六、結論
以上に判断したように、申請人等の主張はいずれも理由がないから、本件申請を却下することとし、主文の通り決定した次第である。
(裁判官 千種達夫 立岡安正 高橋正憲)